遭遇戦 Y
「!待て、ッ!!」
数にしてほぼ半分近くの屍兵を引き付け、森の中へ姿を消したの名を叫びクロムは咄嗟にその後を追おうとした。
だがそのクロムをフレデリクとスミアが阻む。
「どけフレデリク!スミア!!」
「いいえどきません!何故さんが危険も省みず、ご自身を囮にされたのか!その理由をお考えください!!」
「だめですクロム様!そんな危険なこと……!」
理由は分からない。だが屍兵はを集中して狙い、ならばとその状況を逆手に取った彼女は自らを囮に敵戦力の分散を謀った。その目論見はあっさりと功を奏し、全てとは言わないがその戦力を削ることに成功したのだ。
削った、その――彼女自身の安全と引き換えに。
「くそっ……!」
が消えた森は鬱蒼と生い茂っており、中で何が起こっているのかを全く伺わせない。常識で考えれば剣戟は不利、だが彼女の最も得意とする雷の理魔法も、延焼のことを考えればそう易々とは使えない。
それこそ薄暗い森の中でじっと耐えることくらいしか。
「クロム様。ご下命を。」
「〜〜〜〜っ!!全員、迎撃っ!!」
今日と言うほど指揮官という身分を厭わしく思ったことは無い。
ただただ冷静にいることを要請してくる副官の、全てを悟ったような表情にクロムは結局何も言うことはできず、未だ残る敵の殲滅を命じたのだった。
ナーガ神、自分が行くまでどうかを守ってくれ――誰に都合がいいと罵られようとも。今はただ、彼女の無事を祈らずにはいられなかった。
炎を恐れるのは獣の本能。闇を恐れるのは
(……じゃあ、どちらも恐れない私は何なのかしらね。)
一方深い森に抱かれ、その懐に身を潜めたはそんなとりとめの無いことを考えていた。
目論見が功じ、かなりの数の屍兵を引き付け分け入った森。だが彼女は一歩足を踏み入れて、自分達がどれだけ異常な状況に置かれているのかを改めて悟らされた。
(久しく忘れてた……そんな、感じがする……)
風の精霊だけでなく、世界に充ちる精霊の声が全く聞こえない。記憶を失う前にも同じようなことがあったのか――いや、恐らく違う。
今ほど、精霊達の声に耳を傾けていなかった――必要が、無かったのか。耳が痛むような静寂、痛いと思ってしまうのは、多分今居る場所があまりに暖かく居心地が良いせいだ。
人と居ることが――彼の傍らに居ることが自分にとってどれほど安堵に満ちたものだったのか。例えそれが血生臭い戦場であっても人と関わらず、流浪れていただろう時より余程幸せだと言い切れる程に――
(でも今は、風の精霊達の声すら聞こえない……)
風の精霊だけではない。大気に、大地に遍く精霊の声が全くしないのだ。まるでこの辺り一帯が何らかの力で隔離されているかのように。
久しく感じた無音の世界。忘れて久しいその世界は、自覚していた以上にの心を掻き乱した。
(……いけない。こんなんじゃ……)
気取られてしまう、と気配では無く己を殺す。無くした記憶ではなく、在ったであろう過去から派生した感情がこのような場合はどうすべきなのかを教えてくれた。
人の目に見えないだけで、森には様々な命が息づいている。だから敵の目を眩ますには気配を殺しては駄目だ。
殺すのではなく、その森の意識と同化するのだ、と。
(多分……この辺りだけ、何者かが魔力で隔離しているんでしょうね……)
恐るべき力の持ち主だと思う。だが同時に、その相手には全く心当たりがないことに首を捻る。どうやったかは知らないが、屍兵を操り自分のみを狙わせた。つまりその相手に恨みを売ったのだろう。――全く覚えていないが。
(記憶を無くす前のことだったら厄介だな……)
相手もそうだが、原因究明がまずひと苦労だなと他人事のように胸中で呟く。だがこうでもしてないと、次の瞬間には此処から飛び出してしまいそうなのだ。
(残した屍兵はほぼ同数……大丈夫だとは思うけど……)
状況が把握できないというのは、これほどもどかしいものなのかと改めて精霊達の有り難みを痛感する。確かに不意を突かれはしたが、体勢を整えさえすれば早々負けるような面子でもあるまい。
(……どうか、無事で……)
今はただ、祈ることしかできない無力さに奥歯を噛み締めながら、は静かに瞳を閉じた。