遭遇戦 Z 

 
「邪魔だ!!」
向かってきた屍兵を笠掛けに斬り伏せ、次の敵に意識を向ける。
数が少なくなったとは言え、自分達と同数程度にはまだ残っているのだ。油断はできない。
不意を突かれた形ではあったが、態勢はだいぶ持ち直した。今は適度に散開し、それぞれ背中合わせに死角を庇いながら敵と相対している。いつの間にかリズも馬車から飛び出し、杖とロンクーを引き連れて駆け回っているではないか。護衛にされた彼からすればいい迷惑かもしれないが、そこは人遣いが荒いと定評のある女軍師を恨んで貰おう。

「きゃあ!」
「!?スミア、あまり前に出るな!フレデリク、頼む!」
まだまだ自力に不安の残るスミアをフレデリクに託し、クロムは再び別の屍兵と相対する。ざっと戦場に視線を走らせればヴェイクとミリエルが背中合わせに戦いを展開しており、中近距離を臨機応変に使い分けているのが見えた。
そこから更に離れた場所ではソシアルナイトの二人が、その機動力をフルに生かしヒットアンドアウェイで敵を翻弄――ソワレの後ろに陣取ったヴィオールが、牽制とサポートを一手に引き受けている。 リズはそんな仲間達が手傷を負おうものなら、矢のように飛び出してライブの魔杖を振るい、そんな彼女をロンクーが攻撃から防ぐ。目立たないながら堅実な働きでカラムが馬車の守りに徹していた。

(もう少し……もう少しだ、……)
どうか無事でいてくれ、と不気味なほど静まり返った森を背にクロムは呟いたのだった。




(………ん………)
眠って居たわけではないが、どうやら少しばかり意識を沈めていたらしい。はふと、クロムに呼ばれたような気がて、しかしそれこそあり得ないかと再び意識を周囲に溶け込ませた。
いや、正確には溶け込ませようと、した。

(何か……起こった……?)
相変わらず風の精霊達の意識は感じられない。しかしそれこそ気のせいかとやり過ごしてしまいそうな僅かな違和感が、彼女の感覚に引っ掛かったのだ。
視線だろうか、だが屍兵のものとも違う何か――そう、まるで見守るような。

(何だろう……これ……)
あまり馴染みの無い感覚だ。感覚や感情を頭で考える、と言うのもおかしな話だが。
記憶を失ってから――正確には失ったと自覚してから――は、そのおかしな手段がにとっては一番手っ取り早くなっていた。感情を辿ることで、記憶の断片でも思い出さないかと当初は期待したものだが、やはり物事はそう都合良くは行かないもので。

が過去を忘れたのではなく、消えてしまったのだと考える一番の理由がこれだ。


(……あぁ、そうか……クロムさんと一緒に居る時のようで……それでいて、全く違う……)
じわり、と胸に広がるのは安堵。
中天に座す陽から注がれるのと同じ、絶対的な庇護者から惜しみ無く与えられる根拠など不要の安心感。闇を恐れないとは言え、把握できない森の外の状況や屍兵が自分を狙った理由。いくら根性が図太い自分でも不安になる要素など、そこかしこに転がっている。
だがそうは言っても、それを表に出してしまえば屍兵に見つけて下さいと言っているようなものだ。
故にどんなに不安であろうともそれを出すような馬鹿な真似はしない。

(……誰……?)
知りたい、と思いつつも身体は動かない。まるでそこで待っていろと、言い付けられたかのように。
身体の奥に積もるその温かいものに逆らえるはずもなく、は意再び識に蓋をしたのだった。




「――これで終わりだっ!!」
戦斧を持った屍兵の腕を胴体から両断し、頭から黒い霧になったのを見届けたクロムはそこで漸く詰めていた息を吐いた。


「皆っ!無事かっ!?」
未だ弾む息のまま、周囲に声を掛ければそれぞれから是との応えが返ってくる。無論油断はできないが、とりあえずを追わなかった屍兵は全て片付いたと考えていいだろう。

「クロム様。あの、お怪我は……?」
「いや、大丈夫だ。フレデリク!被害を確認してくれ!!」
「は!」
最前線でファルシオンを振るっていたクロムを案じてスミアが駆け寄ってくる。彼女自身にも大きな怪我の無いことを確認し、すぐに踵を返した。本来であればこの間も惜しんで彼女を探しに行きたいが、クロムの立場がそれを許さない。第一、そんなことを仕出かしたとに知れたら今度こそ本当に三行半を突き付けられかねないだろう。

「お兄ちゃん、怪我は!?」
「大丈夫だ。お前は……」
「大丈夫、ロンクーさんが守ってくれたよ。私よりちょっと、杖がヤバそうだけど……」
「杖はお前自身には効力が無いんだ。早めに治療しておけ。――他は、大きな怪我をしたやつは?」
「それも大丈夫。敵の数が随分減ったし……」
減ったのではなく、減らして貰ったのだ。正確に言うのなら。そしてクロム達は窮地を脱したが、恐らくまだ無傷の相手が今まで相対していたのとほぼ同数、居る。

「……ならいい。今のうちに回復をしておいてくれ。」
言って、クロムは一旦は収めた剣を再び鞘から抜き放った。

「クロム様?」
スミアが驚いたような表情で傍らの男を見上げるが、それに気付けるほどの余裕が今のクロムには無かった。
既にその意識はこの場に居ない、もう一人の仲間に向けられている。

「皆はここで待機していてくれ。」
「クロム様!?」
悲鳴混じりのスミアの声に仲間達の視線が集まるが、やはり彼の心の端を掴むことはできなかった。

「あいつを――を。」
未だ一人、暗い森に懐かれたままの愛する(ひと)を。

「――探してくる。」



誰もが――スミアでさえも――予想していた言葉だった。不意を突かれ、不利であった状況を自らの身を囮にして五分まで持ち込んだ女軍師。彼女のその咄嗟の判断が無ければ、もっと被害は大きかったはずた。
その彼女を探しに行くのは、仲間であるなら当然のことで。

「……なりません、クロム様。」
立ちはだかるその男の言葉こそ、信じ難いものだった。

「フレデリク?」
何を言っているのだ、と眉を潜ませたクロムが問えば変わらず表情を貼り付けたままフレデリクは続けた。

「なりません、と申し上げました。敵影の無い今は絶好の好機、即座にこの場を離脱すべきです」
「な……!」
その言葉の意味と意図を理解したクロムが続く言葉を失う。傍らで聞いていた仲間達も、思わず耳を疑った。

「副長!何を言って……」
「言葉の通りだ、ソワレ。敵が引いた今が千載一遇の機、クロム様とリズ様をお守りしたままこの場を抜ける。次、同様の襲撃があってはお二人を守りきれる確証が無い。ならば我々は少しでも早くイーリスへ着かねばならない」
分かるだろう、と声にしなかった言葉で異論を唱えたソワレを封じクロムに向き直る。

「クロム様、急ぎお支度を。各自、装備を点検しろ!一刻も早くこの場から離脱する!」
自警団のNo.2として 指示を出せば、団員たる彼らは従うしか無い。
だが、当然のことながらすんなりと従えるはずも無かった。団員も、唯一その命に従う義務の無い男も。

「……本気で言っているのか、フレデリク」
「無論です。我々はクロム様とリズ様をお守りするのが使命。お二人には速やかにイーリスに戻って頂き、来る戦時に備えていただか……」
「――本気、なんだな。」
一瞬で間合いを詰めたクロムが、襟首を掴んでその先を遮った。顔は俯き加減で表情を伺うことはできないが、声色から察するにお世辞にもいいとは言えないだろう。
その証拠にフレデリクの襟首を掴む腕が小刻みに震えている。

「何度でも申し上げます。今、我々がすべきことは彼女を探しに行くことではなく一刻も早くイーリスに戻ることです。比較的スムーズに事が運んだとは言え、依然油断は許されぬ……」
「それが!何故あいつを見捨てる理由になる!!」
淡々と続けるフレデリクに、堪らずクロムが大声でそれを遮る。
を探しに行くなと言われたこと、だがそれよりもそれを言った人物にやりきれない怒りと悲しみを感じる。彼だけは――他ならぬフレデリクだけは。何があっても自分の味方でいてくれると、そう信じていたのに。

「理由ならいくつもございます。仮にクロム様がこのままいまだ屍兵犇めく森へ単身乗り込まれたとして……万一、御身に何かあったらどうされます」
「それはだって同じだろう!なのにあいつは一人で敵を引き付けてくれたんだぞ!?」
「……分かっております。ですが彼女の代わりの軍師はおりましょうが、御身の代わりはおりません。殿が居られぬことを些末事と片付けることはできますが、クロム様はそうは参らないでしょう」
「フレデリク!!」
聞き捨てならない、とクロムが詰め寄れば彼は顔を横に振るだけで一向に折れる気配を見せない。

「……それに、外から見ただけでもこの森は相当に深い。その中で何処に居るかも分からぬ人、一人を探すのがどれ程難儀か分からぬ貴方様ではないでしょう。伏兵が何処に潜んでいるか分からぬのなら、なおのこと」
「だったらクロムだけじゃなく全員――っても、リズやスミアは残して探しに行きゃいいじゃねぇか」
「駄目だ、ヴェイク。先程も言ったが、彼女が何処に居るのか分からないのだ。その手が最も得意な人物が現在行方不明なのだから仕方がないが、それに加えて理由は分からないが風の精霊による索敵や状況把握ができなかった――リズ様、違いますか」
「……違わないよ、フレデリク。さっきからさんの気配どころか、風の精霊(ジルフェ)の声一つ聞こえないの。――勿論、私よりさんの方が遥かに精霊に愛されてるし、魔力の扱いにも長けてる。でも、そのさんでも、この状況でどこまでできるか――保証は、できないと思う」
に次いで精霊に愛されているリズの言葉には説得力があった。しかし、ヴェイクも黙ってはいない。

「だからって!仲間を見捨てていい理由になるか!!あいつは半数なら俺達が必ず勝つって信じて、囮になったんだぞ!?」
情けない話だが、今回の不意の襲撃はその判断のお陰で勝てたようなものだ。

「――待ちたまえ。皆、そう彼ばかりを責めるものでは無いよ。ヴェイク君、クロム君、落ち着きたまえ」
と、それまで沈黙を守っていたヴィオールがクロムとフレデリクの間に入った。

「ヴィオール。お前まで……!」
「いや、だから少々落ち着きたまえと言っているだけだよ。そんな屍兵が裸足で逃げ出したくなるような表情をしないでくれたまえ、恐いじゃないか」
「……仏頂面は生まれつきだ」
「やれやれ、恐いことだ。いや、最も恐いのは、全てを見越して一人囮になった軍師殿の神経かね?」
「……どういうことだよ」
時に軽薄と見られがちなヴィオールだが、その観察眼は恐らくと同等か次ぐくらいには鋭いものがある。
その彼がいつもの調子を織り混ぜて告げる言葉は、決して看過できるものでは無かったのだ。

「――彼女がこの事態の理由をどこまで把握しているかのまでは分からないがね。だが、理由などこの際彼女は気にしてないだろう。いつぞや言っていただろう、最悪を回避するのではなく最善を選びとるのが彼女の軍師としての身上だと」
かつて自警団の本部の内で。確かに彼女はそう言った。

「状況によって最善策など変わるものだ。その採れる手段の多さがいわば、軍師としての才の証。それは否定しないがね。だが、最悪は基本変わるまいよ。見ていれば分かるだろう、クロム君。彼女にとっての最悪がなんなのかを」
「……ああ」
少なくともフェリアとの同盟も、それによって変わるであろう国の命運もにとっては些末事に過ぎない。最近になって漸く気付くことができた。

「それを踏まえた上で――思い出してくれたまえ。彼女は森の中へ消える直前、フレデリク君の名を呼んだ(・・・・・・・・・・・・)。クロム君、君では無くね――つまりは、そう言うことなのだろうよ」
ん?と首を傾げるヴェイクとは対照的に、クロム顔から一瞬で色が抜け次いで朱に染まった。
確かにヴィオールの言う通りだ。彼女にとっての最悪が『それ』なら、クロムでなくフレデリクを呼んだ理由も納得できる。

「俺に――いや。誰も自分を助けにくるなと、あいつはそう言いたいのか……!!」
あのたった一言に込められていた意図に、わなわなと全身を震わせる。
諾と従ったフレデリクもフレデリクだが、命じただ。
いや、むしろ命じたらこそが元凶だろう。

「ふざ……ふざけるなっ!あいつは!はっ!どうしてそこまで自分の身を軽んじるっ!?」
他に代わりの居ない、いや、誰しにも代わりなど居ない。だからこそ人は人を思いやるのだし、誰かのかけがえの無い存在になるのに。
どうして彼女は、は。他ならぬ自分自身を粗末に扱うというのだ。

「……クロム様。どうかさんをお責めにならないで下さい。クロム様の仰ることはごもっとも、ですが時に。上に立つ者は非情とも言われる決断をせねばならぬ時がございます。そしてあの方は誰よりもそれをご存じだからこそ、自らが進んで危険を被らねばならぬとお考えになっているのです」
「……分かっている!それがあいつなりの、人に命じる者としての責だと考えていることくらいはな!?だが!それは俺だって同じだ!いや、王弟である俺の方が遥かに重い責を担わなければならないだろう!それを……何であいつが!に肩代わりさせなきゃならん!?」
それを背負わなければならないのは、本来クロムのはずだ。そんなことが分からない彼女では無いはず――そう、考えていつぞやの長城で見た横顔がクロムの脳裏を過った。
いずれ、ここを自分の元を離れるつもりだと言ったの横顔が。

(……だからか。だから、あいつは……)
――私が貴方にしてあげられる、最後のことだから。

哀しげに呟くの声が、聞こえたような気が、した。

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