遭遇戦 [ 


「……リズ。まだあいつの姿は、捕捉できないか?」
「え?う、うん……ちょっと待って。……ごめん、お兄ちゃん。やっぱり……」
「そうか。いや、いい。仕方ない」
そっちがその気なら、こっちもこっちで勝手にやるだけだ。の思惑など知ったことではない。
逃がさないと――そう、決めたのだ。

「!クロム様!?」
大股一歩分、森へ足を向けたクロムをフレデリクが咄嗟に制す。
例え憎まれ役となろうとも行かせるわけにはいかないと行く手を阻めば、真っ直ぐとした視線に射抜かれた。

「お待ちくださいクロム様!もし万が一、御身に何かあったらどうなさいます!」
「それは俺がそこまでの男だったと言うことだろう」
「な、何を……!そのような無責任なことで、国を、民を!守れるはずが……!」
「ならばお前は!愛した女一人守れないような男に!国が守れると思うのか!?」
怒鳴り返したクロムの言葉に、その場にいたま者全員の視線が集中する。そして、身体を強張らせた一人の乙女へと。

「言ったはずだぞ、フレデリク!反対しても構わないが、邪魔だけはしてくれるなと!今、ここで!他ならぬ俺が行かなくて、どうしてあいつに隣にいてくれなどと言える!?あいつが、が!俺を選んでくれると思う!?止めても無駄だ、何と言われようと俺は行く!」
生涯を共にと望んだ唯一無二の女性。その能力も去ることながら、何よりその身と心と。共に歩み時を重ねたいと望んだ。
一緒であればこの先のどんな困難にも立ち向かえると思った彼女に、相応しい男でありたい。

さもなくばクロムは永遠に喪ってしまうのだろう、と言う唯一無二の存在を。



「……ですが、彼女を探す術に不安が残っているのも事実です。クロム様、フレデリク様。お二人とも少々頭に血が上っていらっしゃいますよ。他ならぬさんがこの場にいたら、落ち着けとサンダーの一発でもお見舞いしているのでは?」
とんがり帽子の魔術士の冷静な進言に、二人の言い争いが止まる。確かに彼女なら、問答無用で攻撃魔法をぶちかますだろう。

「……すまん、ミリエル」
「いえ。私も彼女に聞きたいことがまだ山とあります。勿論、言いたいこともですが。その為にはまず、生きて戻って頂きませんと」
くい、と眼鏡を上げる仕草にふ、とクロムの肩から力が抜ける。確かにミリエルの言う通り、まずはを連れ戻すのが先決だ。

「……どうしたらいいか……」
考えろ、とクロムは自分に言い聞かせる。彼女が、がこの場にいたら何をするだろうか。どうするだろうか。
その思考を追跡し、わずかでも彼女を救出できる可能性を上げる。最悪では無く最善を、とはの言だが自分で一から考えるとなると、それが恐ろしく困難な作業だということに今更に気付かされた。
と、必死に頭を働かせているクロムの横で、突然鋭い声が上がった。

「お兄ちゃん!!」
「うぉっ!?な、何だリズ!急に……」
「いいから!あっち見て!あそこ!!」
その声と共に指差されたのは、の消えて行った森の方角で。
何だ、と思考の邪魔をされたことに眉を寄せながらもクロムはそちらに顔を向けた。

「な……!?」
果たして。クロム同様、リズの示した先に目を向けた全員が同時に息を飲む。

森の入り口、鬱蒼と広がる闇の世界との境界にぽつんと一つ白いものが在った。
何だ、と目を凝らせばそれが白ではなく銀色の何かだということに気付く。

「……狼、か?」
「は?嘘だろ!?でか過ぎやしねぇか!?」
夜目にも鮮やかな白銀の毛並み。
少々距離があるものの、その立派な四肢といい狼であることは間違い無いようだった。ヴェイクが叫んだ通り、その大きさを除けば。
距離があるこの状態で大人一抱えほど、ならば実際傍らに寄ったなら馬ほどの大きさがあるのではないだろうか。
毛色と体格の他、瞑れた左目がひどく印象的だった。

「くそ。厄介だな……」
そう呟きながらも、クロムの視界には最早狼の背後しか映っていない。
屍兵だけでも厄介なのに――と言うよりは、その森に懐かれたままのの安否を考えてだ。

「クロム!あれ!!」
今度は何だ、とソールの声に注意を戻せばその狼が今まで咥えていた何かに気付く。周囲が暗くてよく見えていなかったのだろう。
ペッと吐き出されたのは、屍兵のものと覚しき黒い片腕だった。その証拠に吐き捨てられ、地面に届く前に黒い霞と化す。
自警団の面々はその光景に何やら背筋に冷たいものが走り、思わず白銀の狼に注視してしまう。だがクロムだけは何故か別の意味で、狼から視線を外せずにいた。


(……何だ……?)
真っ直ぐに注がれる――視線。
視線であることは間違い無く、では誰からのと考えれば今クロムの前方にいるのは白銀の狼しかいないわけで。
例え隻眼であっても、獣であっても視線はあるだろう。だが、獣がまるで意思を伝えるかのような強さで人間を凝視するなど聞いたことが無い。

(……伝える?)
何を?と考えて、クロムははっと俯いていた顔を上げた。

「ついて来い、か……?」
「クロム様!?」
独り言でも傍らにいたスミアには十分だったのだろう。悲鳴に近い声に、周囲の視線が集中する。
その声が届いたのか、目を逸らさないクロムの前で白銀の狼がくるりと踵を返す。最後に残された長い尻尾が、優雅に闇の中を泳いだ。

「クロム様!な、何を……!」
「何をお考えになっているのです!?」
スミアに続きフレデリクもその暴挙を止めようとするが、クロムには最早目の前に立ち塞がる木立しか視界に入っていない。

「クロム様!何を仰っているのです!罠の可能性とて……!」
「だが、俺にはそう思えないんだ。あの狼の案内してくれる先に、あいつが――が居ると。そう、俺の中の何かが言っている」
木立の中、走りながら剣は使えない。クロムに限ったことではないから、腰に差した鞘がしっかりと付いていることを確認しクロムは肩を一つ、大きく回した。

「クロム様!後生ですから……!」
「すまん、フレデリク。だが……俺は行く。行きたいんだ。頼む、行かせてくれ」
未だ暗い森の中、たった一人で蹲っているだろうの為に。
その彼女を失いたくないと願っている、自分自身の為に。
踵を返し走り出そうとした身体を、しかし腕を抱え込んで止める者があった。一瞬フレデリク、と咎めようと振り返ったクロムがぎょっと動きを止める。

「ス、スミア?」
クロムの腕を抱えていたのは、副官では無く大きな瞳に涙を溜めた天馬騎士だった。普段の彼女からは考えられぬその大胆な行為に思わず動きを止める。

「だめ……だめ、です。だめです、クロム様!危険です!そんな、お一人で行かれるなんて……!」
「スミア……そうは言うがな。その危険な場所に、あいつを――を一人にしておくわけには……」
涙ながらに首を振り、駄目だと譫言のように繰り返すスミア。そんな彼女にクロムは、困ったような表情を浮かべるしかないわけで。

さんはっ!さんはお強いんですから、きっとお一人でも大丈夫です!」
だから行かないでくれ、と必死に訴える。彼女はただただクロムの身を案じてくれているのだから、ありがたいことなのだろう。だが。

強い。確かに、は強い。
だからと言って、万能でもましてや弱点が無いわけでも無い。
他ならぬクロムは――彼女の隣に居ることの多かった自分だからこそ分かる。

は強いのではなく、強くいようとしているのだ。強くあることを、自ら半ば強要していたかのように。


「……そうかもしれない」
その危うい強さを知っているクロムだからこそ。大丈夫など安易なことは、言えなかった。

「だが、未だ森から出てくるわけでも戦う気配も。伝わってこない。つまり、まだはあの中に居て待っているんだ」
俺を、とは胸中だけで呟いて。

「お願い……お願いです、クロム様。どうか、行かないで。行かないで下さい……」
ぽとりと落ちた大粒の涙に溜息を吐き、掴まれているのとは別の手でスミアの頭をあやすように軽く叩き腕を簡単に引き抜いた。

「大丈夫だ。心強い道案内もいることだし……戦闘の気配があれば、も気付いてくるだろうしな」
まさにクロムらしい行き当たりばったりな戦略に、フレデリクとスミアを除いた自警団の面々が思わず溜息を吐く。これはが戻った時の雷(リアル含む)を、全員が全員覚悟しておかねばならないだろう。

「ならば尚のこと。クロム様、行かせるわけには――」
「行って、お兄ちゃん」
まだ食い下がる、いざとなれば実力行使も厭わないと覚悟を決めたフレデリクが一歩前に出た。
けれど、その覚悟を柔らかい声音が文字通りに阻む。

「リズ様!?」
「リズ」
「早く。さん、待ってるよ」
クロムとフレデリクの間に進み出たのは、リズその人だった。
そのまま守役たる彼の前に陣取り、行く手を阻む。

「リズ様、何を……!」
「フレデリクの言い分も分かるし、当たり前だと思う。この場にさんが居たら、きっとフレデリクと同じことを言って同じ行動に出てるよ」
「で、でしたら……!」
「でもね、スミア。さんなら、その後自分が単身森の中に助けに行ったと思うんだ。それだけの実力と覚悟があって、あるからこそお兄ちゃんに立場を考えろってさんなら言うはずだから。大勢の為には多少の犠牲はしょうがないって言いながら、自分はその大勢の中には含めないの。――そういう女性(ひと)でしょ?」
「…………」
「フレデリクも。お願いだから、行かせてあげて。お兄ちゃんはさ、確かにイーリスの王子だけど、その前に――ううん。それと同時に一人の人間なんだよ」
そのクロムが行かせてくれと言っているのだ。自分の立場も状況も、全て踏まえた上で。
ならばリズ達のできることは、もう信じて待つくらいのことしか無いではないか。

「しかし……!」
「お兄ちゃん、早く!その代わり、何が何でもさん連れ戻して来てね!」
これ以上言わせないのは、善くも悪くも血の成せる業か。
早く、と促された先にいる道案内人は動こうとしないクロムにやや焦れたような視線を投げ掛けてきている。

「クロム様!」
「くどいよ、フレデリク!」
「ですが、リズ様!もしクロム様の身に何かあればエメリナ様が悲しまれましょう!?」
「今、行かなかったら!例えさんが助かっても、お兄ちゃんは一生後悔する!そんなお兄ちゃんの姿こそ、お姉ちゃんは悲しむよ!」
「クロム、行け!」
「ヴェイク!?」
「さっさと行って、あいつ引っ張ってこい!俺様だって言いたいことの一つや二つじゃすまねーんだからな!」
リズがフレデリクの前を陣取り、その脇をヴェイクが固める。もう一人、クロムを阻もうとしていたスミアはソールとソワレが傍らに付いた。

「スミア、君もだ」
「で、でも……!」
「僕らじゃ、あの森の中は身動きが取れないからね。――クロムに行ってもらうのが、一番確実だよ」
今にも再びクロムにしがみつきそうなスミアの片腕を押さえ、騎士達は口々に彼女を諌める。古参の二人だ、スミアの気持ちなど――クロムを止める本当の動機も――手に取るように分かる。だが、そんなことをしてもクロムが彼女の気持ちに応えてくれるはずもなく、むしろ拗れさせてしまう可能性の方が高い。――あの、人目を憚らない告白に望み薄なのは百も承知だが。

「早くしろ。行ってしまうぞ」
ロンクーが指した先には、じっとこちらを見据えたままの白銀の狼。
ヴィオールやカラムも、力強く頷いてみせる。

「……すまん!」
長たる者が執るべき行動でないのは十分に分かっている。でもそれを差し引いても、どうしても彼女を――を。
取り戻したいのだ。
フレデリクとスミアの必死の制止を振り切り、クロムは駆け出した。今まで遅れを喫した分を、取り戻すかのように。


「――夜明けだ!」
森に足を踏み入れる道を走る最中、クロムは一度だけ振り返って叫ぶ。

「夜が明けても俺達が戻ってこなければ!構わずイーリスへ戻れ!リズを頼む!」
言ってしまえば、後はもう前を見据えるだけだ。白銀の尾を追って、クロムの姿もまた闇を孕む森へと吸い込まれるように消えて行く。


「クロム様!!」
悲鳴に近いスミアの声が、その後を追ったがクロムが振り返ることはなかったのである。

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