遭遇戦 ]U 

 
!しっかりしろ!!!」
片膝を着き、腕の中の彼女の名を必死で呼ぶ。外套を纏ったままでも華奢だと分かる身体は、小刻みに痙攣を起こし始めていた。
「馬鹿野郎!何で……!!!」
クロムの尋常で無い叫び声に、仲間達も痛む目と耳を押して駆け寄る。

その彼らの前に横たわっていたのは、右肩から左腰に掛けての背中を切り裂かれたと言うよりは殴り裂かれたと言った無惨な姿の――

「な……っ!?」
既に周囲は陽が落ちかけており、灯りは十二分に乏しい。それであっても生々しい肉と骨の色はその裂傷の酷さを皆の目に露わにしていた。

さん!」
「おい!誰か傷薬!」
「間に合わないよ!リズを!早く!!」
仲間達が矢継ぎ早に叫ぶ言葉など、クロムの耳には全く入ってこない。ただ腕にある女の名を、繰り返し呼ぶことしかできなかった。
何かの拍子にその身を支える腕が何やら生暖かいものに塗れ、不審に思って右手に視線を落としてみればそこには深紅に染まった自身の片腕が。

「……っ!!ッ!駄目だ!目を開けろ!開けてくれ!!」
それが彼女の血であることなど考えるまでもなく明白だ。思わず飲んだ息を必死に吐き出しながら耳元で懸命に怒鳴り、何とか彼女の意識を取り戻そうと躍起になる。

「…………」
耳元で大音量で怒鳴られれば誰だって眉を顰める。だが僅かに目を開き、焦点の定まらぬ視線をクロムに向けてぼんやりと投げ掛ける彼女には、最早そんな余裕すら無いようだった。


ッ!」
意識が戻ったことに僅かに安堵するが、血の気を失った顔に悠長なことは言ってられない。閉じられてしまったが最後、そのまま二度と開かれないような予感しかしなかった。

「駄目だ、目を閉じるな!……馬鹿野郎!何で、何で俺なんか庇った!?」
確かに彼女が庇わねば、ここに倒れているのは間違いなくクロムだったはずだ。
だが、だからと言って。彼女が身代わりになる必要など無いのに。
抱えた身体が徐々に重みを増していっているのは、クロムの気のせいでは無いだろう。繰り返される呼吸も、浅く速い。それは彼女の命の灯が急速に消えて行っていることを物語っている。

と、その呼吸の中で僅かに唇が戦慄いた。残された力を振り絞って、が何かしらを告げようとしているのだ。

「なんだ……?いや、いい!今は喋るな!」
だがその度に顎を滴る血の量が増し、体力の消耗に拍車をかけているのは明白だった。声にすらならないのは、恐らく負った傷のせい。微かに空気の抜ける音が嫌に耳に残った。

どうしたらいい、どうしたらと何度も頭の中で繰り返したが動転する頭が答えを出せるはずもない。
こうしている間にも彼女に残された時間は刻一刻と過ぎて行くというのに。今にも落ちそうな瞼を見て、クロムは咄嗟にその手を掴み再び声を荒げた。

「……っ!駄目だ!許さないからな!俺を置いて行くなんて、絶対許さない!!」
だから死ぬな、と続けようとしたクロムの動きが突如止まった。
瀕死の身を掻き抱く腕に、血に塗れた指先が震えながらにして触れたのだ。本当なら注意を引くために服を引っ張るか何かをしたかったのだろう。だが血に染まった指はクロムの胴衣に触れているだけ、もう引っ張る力すら無いのだろう。

それがどんな意味を示すのか――悟れないクロムでは、無い。

……?」
「…………」
はくはくと唇が震え、何事がを呟こうとし――

そして。視界に飛び込んできた、思わず目を疑うようなその姿に。

ものも言わず、クロムが硬直した。

「嫌だ……頼む、……逝くな、逝かないでくれ……!」
頑是ない子供のように、首を左右に振る姿にの表情が変わったように見えた。少しだけ、困ったように。
いつの間にか、クロムの両目からは滂沱の涙が流れている。いくら嫌だと言っても、もう彼女に残された時間が僅かであることは疑いようがない。
指の隙間から砂がこぼれ落ちるように、確実にその命数は減って行っているのだ。
当の本人が目前に迫る死に満足して受け入れてしまっては、尚のこと。

「駄目だ!逝くな、!俺はまだ……まだ、何も!何もお前に伝えていない!!」
血を吐くようなクロムの声に、周囲の仲間達が一様に唇を噛み締める。
そして。


「お兄ちゃん!そのまま!呼び掛け、続けて!!」
飛び込んできた、待ちわびた声に仲間達が一斉に振り返った。

「リズ!!」
「きついとは思うけど意識、途切らせちゃ駄目!!」
肩で息をしながら駆け込んできたリズは、言うなりライブの魔杖を構える。
こんなことなら、フェリアで予備の杖を買っておくべきだったと臍を噛むが今更言っても始まらない。とにかく今は、あるものでやれるだけのことをするしかないのだ。
予期せぬ屍兵との戦いで酷使を余儀なくされた杖は、そろそろその寿命を全うする兆候を見せている。
ごめんね、頑張ってねと杖に一瞬額を押し当てリズは直ぐ様魔力を集中させた。クロムに抱えられたの背中に向けて、癒しの魔法を発動させる。

「ライブ……!」
暖かなオレンジ色の光が杖の登頂部から生まれ、伏せる者へと降り注ぐ。
大抵の傷ならば、一度の治癒で十分のはず――

「ぁぐっ!!」
だが次の瞬間上がったのは、の苦しそうな呻き声と噎せ返るような血臭――そして、深紅の飛沫だった。

!!」
競り上がってきた鮮血がクロムの服や腕、顔など場所を選ばずに染め更なる恐慌状態を呼び寄せる。
そんな中唯一リズだけは、その動揺の波を必死に堪えていた。

「傷が深すぎる……!」
加えて血の色が鮮やか過ぎた。恐らく内臓――肺にまで傷が達しているのではないだろうか。
簡単に癒える傷では無いのは十分承知していたが、いざ目の当たりにすると杖を握る手が震えそうだった。今、この場に癒し手はリズしかおらず、掛け替えのない仲間の命が自らの両手に委ねられていると言うのに。

震えるな、と言う方が無理。誰かが代わってくれると言うのなら素直にこの場所を譲ってしまいたい。

(でも……!)
リズしか居ないのだ。そしてこのような時のために、自分は自警団の一人としてとしてシスターとして研鑽を積んできた。今、逃げ出して何の意味がある?

「ナーガ神、どうかご加護を……!」

こここそが自分の戦場だ、と自身に言い聞かせリズは再び杖を構えたのだった。

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