遭遇戦 ]V
「お兄ちゃん、これから内臓優先に治療してくから!とにかく出血を止めないと……さんの様子がおかしくなったら、すぐ教えて!」
「わ、分かった!リズ、は……」
「分からない、って言うのが本音だけど……でも、絶対助けてみせる!私だって!さんに生きてて欲しいもん!」
今日まで与えられるばかりだったのだ、これから少しずつ返していこうと思っていたのに。
こんな所で死なせてたまるか、と眉を寄せればクロムが腕の中の身体を更に抱き締めた。戻ってきてくれ、とその万感の思いを込めて。
「……いくよ!慈悲深き我らが神よ、命司りし全ての根源の担い手よ!今一度、我が声に耳を傾けたまえ。傷付き倒れる汝が恵児にその恩寵を賜らんことを……!」
先程より緻密に、濃密に。
カオス・ワーズに魔力を織り込み、治癒の魔法を発動させる。外傷もそうだが、まずは止血と内臓損傷をどうにかするのが先だ。
常通りの魔力構成では手に負えないことは、最初の発動で十分分かった。治癒魔法は術者の力量も去ることながら、患者の体力との勝負でもある。詰まるところ体力の消耗と折り合いをつけながら、回復を調整しなければならないのだ。今回のように、対象の傷が深く体力の消耗が激しい場合は特に。
「ライブ……!」
放たれた治癒の魔法はの身体の奥深く、割かれた臓器や断たれた血管、折り断たれた骨に作用してその組織を再生させる。急激な作用と回復はさせない。だが、ゆっくりと万が一にも間違いが無いように。
「ぅ……」
小さい呻きにクロムが腕の中の様子を窺い、だが悪くも無いが好転もしていない姿に僅かに胸を下ろす。
「だい、じょうぶ……そうだね」
リズも小康状態は確認したのだろう、再びライブの杖を構えた。
程では無いが、リズも息が上がり始めている。そもそもこれだけ魔力を集中させ、織り込んでいる以上掛かる負担も消費も桁が違う。泣き言を言うようなつもりは無いが、の傷がどの程度まで癒えるかリズの体力が保つか――それの勝負にもなるだろう。
「絶対、絶対助けてみせるんだから……!」
そして三度の発動。表層の傷はともかくとして、内部の傷は徐々にではあるが癒えつつある。だが問題はリズの体力と魔力の消耗が、傷の治りより早いことだ。全快させることは早い段階で諦めていたが、せめて内部の傷だけでも治してしまわねば徒にの血と体力を失わせてしまうだけで終わってしまう。
多く見積もって後、三回程でリズの魔力は尽きてしまうだろう。その三回分の魔力をどこまで効率良く使うか、それが生死の分かれ目になる。
どうしたら、いいと唇を噛み締めたリズの口内に血の味が僅かに広がった。どうやら考えに没頭するあまり、うっかり噛み切ってしまったらしい。
「血………」
思わず呟いて、はっと我に返る。
血。命。体内を巡るもの。
「……お願い、
つい先程の、まだもぴんぴんしていた時の会話を思い出す。攻撃魔法も回復魔法も、力のベクトルが違うだけで基本は同じだと。
そして今、一番深刻なのは出血。血液は――液体だ。
閃いたリズが叫ぶと同時に、風の精霊とは違う感覚が両手に集まった。彼女らのまるで待ち兼ねていたような反応の良さに驚きつつも、反面納得もする。
「……ありがとう……」
彼女らも待っていたのだ自分達の愛し児に、その命を救う手助けができるのを。後から知ったのだが、近くに水場があったことも事態を良い方へと運んだ理由らしい。
体内を網目状に巡る血管、その流れと欠損箇所を水の精霊達がリズに伝えてくる。魔法を行使する際に必要なイメージは手に入れた。後はそれを発動させるための、体力と魔力。
「……流れゆくもの、流れくるもの。水の流れにたゆたいし、命司りし数多の精霊よ。傷付き、倒れ伏す者に汝らが力を分け与えたまえ。……ライブ!」
詠唱が終わると同時に、先程の比では無いオレンジ色の暖かな光が杖の先端から放たれた。
リズの視たイメージと血流に従って治癒魔法がの体内を駆け巡る。
失われたはずの肉が骨が彼女の体力を代償に再生され、だが大した反動も生まずに済んだのは癒し手たるリズの魔力故。お陰でごっそり魔力を持って行かれてしまったが。
「きゃ……っ!」
「リズ様!!」
危険なのは魔力の残量だけではない。ライブの魔杖も、そろそろ限界を迎えていた。それを告げるかのように、リズの手の中で瘧のように震え出す。思わず取り落としそうになったのを、慌てて掴み直した。
「杖が……」
「後一回、が、限界、かな……」
駆け寄ってきたフレデリクが、僅かに入った罅を見咎めて眉を寄せた。肩に添えられた手に寄りかかる形になったリズも、同じ表情をする。こちらの理由は杖の状態だけではなかったが。
「リズ様、少しお休み下さい。先程から休み無く杖を使われておられます。このままではリズ様まで……」
「馬鹿言わないでフレデリク。確かに杖は酷使してるけど、その為のライブの杖なんだよ?」
「杖ではありません。リズ様ご自身のことを申し上げているのです。このままでは倒れられてしまいます」
「……分かってるよ。でも、ダメ。次の一回で、どこまでできるか分からないけど……でも、できる限り治療しないと、さん本当に……」
濁した先の言葉にクロムが大きく震えた。抱えた身体を命を、逃さないとばかりにきつく抱き締める。
「先程から比べれば、大分落ち着いてきてはいるでしょう。今なら……」
「今だからこそ、だよ。今、ここで手を緩めたら、元の木阿弥になっちゃう。……やっぱり傷が、肺まで達してたんだよ。幸い、肺そのものの傷はそこまで酷くなかったけど……その周りまでは。主要な血管とかは最優先で治したけど、まだ血が止まったわけじゃない。……でも、今残ってる魔力じゃ完全に傷を塞ぐこともできない……!」
悔しい、と拳を握り締める。もっと自分に力があれば、もっと高度な魔杖を使えればと何度も思った。
だが自分の無力を嘆く暇があるなら、その時間を有効に使いなさいと彼女なら言うだろう。
リズにはリズなりの戦う理由が、戦い方があるのだからとそう言ってくれたのは姉を除いてはだけだった。
そのが、こうして倒れているのに。今ここで彼女を助けられなかったら、それこそリズの居る意味が無いが無いではないか。
「ですが……」
「自分の身体は自分が一番良く分かってる。無茶はしないよ、って言いたいとこだけど……今、無茶しなきゃさんは助けられない。ううん。無茶の一つや二つできないで、命掛けでお兄ちゃんを助けてくれた女性に応えられるわけないでしょう!?」
クロムやフレデリクとて、好きで彼女に庇われた訳では無いだろう。そんなことはリズだって十分承知している。
だが、そんな中でが。だけが、迫る凶刃からクロムを命掛けで守ったのだ。ならば間に合わなかったリズ達だって、守った彼女に命掛けで応える義務があるはすだ。
つくづく魔法理論に関する討論をしておいてよかったと思う。今の状態で五分なのに普通に回復魔法を使っただけでは、絶対助からなかったはずだ。その代償として持って行かれてしまった魔力の量を考えれば、それも妥当かと頷いてしまうけれど。
後は実証だけですね、と言っていたもまさか自らで試すことになろうとは思っていなかっただろうが。
「ですが!これ以上ご無理をされれば、リズ様が倒れられてしまいます!」
「倒れるくらい……!」
「私は戦場で何度も見ているのです!無理をした癒し手が、力の使い過ぎによって倒れる姿を!――中には、二度と目覚めぬ者もおりました!リズ様、後生ですからお考え直しを……!」
フレデリクの心配も当然だった。回復魔法とて、使い手に負担をかけない訳では無いのだ。むしろ、連続使用による疲労度は攻撃よりも高いと言っていい。使い手の少なさも去ることながら、どんな局面であっても需要が圧倒的に多いからだ。
人一人を傷付けるより救う方が遥かに難しいのは、何も比喩的な意味のみでは無い。
「くどいよフレデリク!悔しいけどね、今の私は無理が祟って死ねる程強くないの!情けない話だけど、精々杖が壊れた後ぶっ倒れるくらいにしかなれない!」
十分大事だ、とフレデリクの顔には書いてあるが昏倒するくらいなんなのだとリズは言う。誰かを庇って傷つくのも、誰かを癒して死ぬにも相応の力が必要なのだ。程とは言わない、せめてミリエル位の力があればと後悔する程度にしか今のリズには実力が無いのだ。
情けない以上の言葉は見つからないが、それでもできるだけのことをしなければ自分は何もできないままだ。
このままでいいはずが無いし、このままでいたいとも思わない。リズはリズなりに、あの日戦うことを決めたのだから。
「それでも!もし万一のことがあったらどうなさるのです!御身に万一のことあらば、エメリナ様がどれほど悲しまれるか……!」
ぶちっ、とリズの中で何かが切れる音がした。間違ってはいない、だが同時にこの場で最も言ってはならない言葉だった。
怒り以外の感情が彼女の中に生まれ、止める間もなく爆発する。
「姉上の!王の命がそれほど大事ですか!仲間の命を危険に晒し、仲間の尊厳を脅かしてまで!?」
丁寧ながらも苛烈な物言い――丁寧だからこそ、リズのその怒りの深さを物語っていた。
「確かに命は命、ですがその命に対して従順だけが忠義ではありません!いつからイーリスの騎士は主に盲従するだけの木偶になりました!?」
「!!」
「リ……」
肩を震わせ怒鳴るリズに、フレデリクは勿論実兄たるクロムすら目を剥く。自警団の中では妹のように可愛がられ、常に朗らかな笑顔を絶やすことのない彼女の果敢な姿に虚を突かれたのは彼らだけでは無かった。
「――
「リズ様!?」
「リズ!!」
続いて飛び出した爆弾発言に、流石に二の句が告げられない。フレデリクの任は現王・エメリナから直々に賜ったものだ。正確に言えばリズのこの発言に拘束力は無い。だが、他ならぬ彼女自身が守護は要らぬと意志を明確にしたのだ。
今後がどうなるにせよ、今この場に於いて守役としてのフレデリクの権限は失せたに等しい。
「――お兄ちゃん!さん、しっかり見ててね!たぶんこれが、最後の一回になるから!ヴェイク、カラム、一つでいいから、天幕準備して!ソールはありったけの傷薬集めて!ロンクーとヴィオールは水と薪の確保!ソワレ、ミリエル、スミア!後、よろしく!」
怒濤の指示(言い逃げとも言う)に各自、首を縦に振るしかない。承諾の意を見たリズが鼻息荒く満足気に頷く。その表情にとある女軍師に面影が重なるのは悪い冗談だと思いたい。
「……さん、もうすぐだからね。絶対助けるからね。……命の泉源司りし水の精霊、
恐らく最後、と言ったリズの言葉を疑いたくなるような、今までとは比べものにならない力強い光だった。
紡がれる言霊の通り杖を握った指の隙から光が零れ始め、瞬く間に魔杖の最上部へと集束――刹那に弾けた。集束することで輝きを増した光はその輝きを保ったまま砕け、臥せる身体に地面に降り注ぎ一瞬で法陣を描く。
その法陣の光一つ一つが高密度の治癒魔力を含み、陣の幾何学文様の相乗効果と相まって傷口に注がれ内部から治癒を促す。それが進むにつれの身体が小刻みに痙攣するが、拒絶反応ではないのだろう。その身を抱いているクロムだから分かる、強張っていた表情が僅かずつ解れていくことに。
未だ背中の裂傷は消えていないが、命の危機は脱しつつある――そう文字通り肌で感じ、よかったと身体を再び抱き締めた時だった。
「リズ様!!」
ぱぁん、と澄んだ音を立ててライブの魔杖が砕け散ったのと同時に、それまで杖を構えていたぐらりと華奢な身体が傾いだ。その身が重力に従うまま倒れ込むのは、意識が飛んでいるせいだろう。
「リ……!」
ズ、と呼ぼうとしたクロムの前で、伸ばされた腕が咄嗟にその華奢な身を受け止めた。
「ロンクー……すまん」
「いや」
意外なことに崩れたリズを抱き止めたのは、女性が苦手と公言して憚らない寡黙な青年剣士だった。一同があっけに取られているなか、手を伸ばしかけたままのフレデリクに視線で何かを促す。
「……暫しお待ちを」
言って彼が取り出したのは、替えの外套。そのままそれを草地に広げ、ロンクーは華奢な身体をそっとその上に横たえる。
「……よくやった。少し、休め」
眉間に皺を寄せたまま昏倒したリズに、短い労いの言葉が呟かれた。確かに女性に苦手意識を隠さないロンクーだが、それでも戦う者に対しての畏敬の念くらい持ち合わせている。それが例え苦手な女性であったとしても、だ。
フェリア育ちであるロンクーからすれば戦場に出るなど信じられない程華奢で儚げで、頼りないと言って差し支えないような存在ではあるが彼女は彼女なりに戦っていたのだ。仲間を救う為に限界まで力を使って倒れた者を、苦手だからと言う理由で敬遠などしない――それこそ、男の風上にも置けないだろう。
「――何をしている。指示を受けただろう」
寡黙な青年剣士の言葉に、全員が弾かれるように我に返った。目を疑うような光景であっても、確かにここで呆けている場合では無い。
「カラム!行くぞ!!」
「あ……ま、待ってよ、ヴェイク……」
「ちょっと待った二人とも!その前に傷薬、置いてって!」
「さて、それでは私も行くとするかね」
「馬車、連れてくるよ!ミリエル、身体を冷やさないようにしてやって!」
「分かりました。スミアさん、火の準備を」
「は、はい!た、薪……薪を集め……きゃあ!」
それぞれが担う役割の為に、蜘蛛の子を散らすように走りだす。
残されたのはを抱えるクロムと、呆然としたフレデリクのみ。普段なら何と声を掛けたものか、空気の一つも悪くなりそうなものだったが生憎今のクロムにとって彼女以外のことは些末事に過ぎず。
相変わらず呼吸は浅く、早い。
それでも心無し、血の気が戻ってきているような気がする。傷口ごと身体を圧迫し、これ以上血が流れ出ないようにと更に掻き抱く腕に力を込めた。
「……もう少しだ、。もう少しだけ……頑張ってくれ」
額に寄せた唇が、祈るように呟いたのだった。