遭遇戦 ]Y 

 
――大丈夫。大丈夫だ、
お前は生きろ。俺の分も、彼女の分も。一族の言葉にもあるだろう?お前は決して一人じゃない。

生きろ、。お前が運命に出逢う、その日まで――



(…………)
あれは誰だったのだろうと霞がかった頭で考える。恐怖と心細さに不随した、ぼんやりとした光景。

あの時も暗く深い森の中、自分は一人で膝を抱えていた。
頭を撫でた大きな手。逆光ではなかったはずなのに、そこだけ抜け落ちたかのように忘れてしまった大好きだったひとの顔。

あれは――



「…………リズ、さん?」
ぶれる視界に写った金色に、無意識に唇が動いた。最も自分ではそう呟いたつもりだったのだが、実際は殆ど掠れて言葉にはならなかった。

「!さん!?」
声と視線にも力があったのだろうか、だが呼ばれた本人は違うことなくその囁きを捉えた。

さん!分かる!?私のこと、分かる!?」
「………」
声を出すのは億劫で、頷こうとした身体が軋んだ。表情が歪んだのだろう、無理しないでと肩に手が置かれた。

「ソワレ、ライブの杖取って!」
「分かった!、もう少しだ!頑張れ!」
ソワレさん、と呼ぼうとした声の代わりに出たのは、激しい咳だった。痛む身体に更なる負荷が掛かって一瞬気が遠くなりかけたが、頭上から降り注ぐ温かな光がそれを阻む。

「………は、ぁ……」
一気に楽になった呼吸に強張りが解ける。口内に僅かに広がった血臭からして呼吸器に損傷でもあったのだろうか。

さん、大丈夫ですか?」
「なん……とか……」
身体が軋むのは、長時間眠っていたせいだ。心配そうに覗き込むミリエルに頷いてみせ、全身の力を抜く。今自分がいる場所に心当たりはなかったが、顔触れを見れば大体の状況は分かった。

(……生き延びちゃったか……)
第一に考えたのは、とうに捨てるつもりでいた命が長らえたことだった。まだ若干記憶があやふやな所はあるが、確実に死んだなとどこか他人事のように考えたことはしっかり覚えている。
あのタイミング、あの状況では盾になるしかなかった。例えが倒れても、初撃さえ防げればクロム自身か周囲の誰かが止めを刺すだろうとも。

「……ん?さん!?大丈夫?私のこと、わかる!?」
「あぁ……大丈夫、です。分かり……ますよ、リズ、さん」
とは言え、まだ若干喉が攣れる。先程の回復魔法で身体の奥底が蠢く気配を感じた。恐らく肺か――よくもまぁ生きていたものだ。

「よか……よかった……」
安堵のあまりへなへなとその場に座り込んでしまったリズに慌てて手を差し伸べようとしたが、まだ身体は思うように動いてくれなかった。加えてミリエルに視線で制され大人しく臥せったままでいる。

「ここ……は……」
「フェリアとイーリスの国境近く……まだ、フェリア寄りだけどね。あの戦闘があった場所の……近く」
リズに手を差し伸べながら答えたソワレの言葉に、少しずつではあるが頭が回転を始める。

「私は……どの……くらい……?」
「丸一日だね。君が倒れたのが昨日の深夜、もうすぐ日が落ちるくらいだ」
「……いち……にち……」
眉間に皺を寄せる姿から察するに、とんでもなく時間を無駄にさせてしまったとでも考えているのだろう。
そんなの思考を違うことなく読み取ったミリエルは、苦笑しながら水差しを手に取った。

「確かに時間は大事ですが、貴女の身には代えられないんです。今はとにかく傷を癒すこと――粗方癒えていますが、体力が落ちている筈です。平時までとは言いませんが、せめて行軍に耐えられる程度には戻しませんと」
「……面目……ありま……せん……」
ミリエルから水差しを受け取り、渇いていた喉を潤す。温い水に僅かに噎せながら、器を干した。

「だいじょぶ?さん、少し眠る?」
「いえ……眠れはできるでしょうが、とにかく今は。現状を教えて――整理させてください」
うつ伏せになったまま、だが確りとした意識と口調にこの仕事中毒はと三人揃って顔を見合わせる。

「フェリア領内、戦闘から一日――風の精霊」
「あ!こら!」
止める間も無く魔力を使ったの周囲を、軽やかな風が舞う。
確かに現状把握に最も手っ取り早いとは言え、つい先頃まで死にかけていた人間が採るべき行動ではない。

「……特に危険は、無さそうですね……精霊達にも、問題ない……」
「問題大有り!何考えてるのさん!?」
「……あれほど異様な事態でしたから。精霊達が感じられないなんて、生まれて初めて――記憶はありませんが、多分初めてです。……やっぱり、ネックはあの結界か……」
「ええ、恐らく。貴女が最後に放った魔法のお陰で崩れはしましたが……あれほど特異で広範囲な結界を敷くとなると、相当な使い手かと」
「……それほどの使い手であれば、屍兵を操ることなど簡単だと思いませんかミリエルさん」
「……簡単かどうかは別として、可能性は高いと思います。最も自然に湧いた屍兵を操ったのか、操ることができる屍兵を発生させたのか。定かではありませんが……」
「……どのみち、私が元凶であることには代わりないですしね。……これは、最初から予定を組み直さないと……」
「こらこらこらこら。何言ってるんだいそこの怪我人。ミリエルも。キミの知的好奇心を実に刺激することは分かるけど、今はそれどころじゃないだろ?」
小難しい話を始めた仕事中毒と思考中毒は飽きれ混じりの声に、二人はばつの悪いように目を泳がせた。
その際、額に青筋を浮かべたリズには気付かないふりをする。

「と、とにかく……さんの目が覚めたことを皆さんに伝えてきます。……特にクロムさんは、とても心配されてましたから」
「無事……なんですよね?」
賢明にも逃げの一手を打ったミリエルに、恨みがましい視線を送っていたがどこか意識の端で避けていた人物の安否を恐る恐るといった風に尋ねる。それは確かに一度聞いた筈の問いだったが、恐らく曖昧すぎる意識下でのことだったのだろうとリズが頷いた。

「大丈夫。怪我らしい怪我はしてないよ。……終わってからの方が、よっぽど死にそうだったけど」
「それは……申し訳ありませんとしか……」
ほんとだよ、と両手を腰に当ててふんぞり返ったリズの愚痴には謝るしかない。とにかくあの時は場を凌ぐことしか頭になかったのだ。

「まぁまぁ。とにかくも無事だったんだし、お説教に一番の適任者が首を長くして待ってるんだから」
「そうでした。覚悟なさって下さい」
「そこ待ってて下さいじゃないんですか、ミリエルさん……」
すいません、つい本音が、と残してミリエルが天幕を出て行く。どんな盛大な雷が落ちることやら、と内心うんざりしながらふとリズに目をやった。
何やら一転、浮かない表情をしている彼女には器用に小首を傾げた。

「リズさん?」
「……ん。何?さん」
「何と言うか……リズさんこそ、何かおありになるのでは?」
表情に書いてある、と続ければ口を尖らせ何故か自らの頬を引っ張った。
暫くしてあのね、と口を開く。

「……謝らなきゃいけないことが、あるの」
「はぁ」
深刻そうなその声音に、意識を失う前後のあやふやな記憶を辿る。何かあっただろうか、続く言葉を待てばそれを探していたリズの口が開いたり閉じたりを繰り返し漸く声を乗せた。

「……あのね。背中の怪我のね、傷がね……残っちゃったの。……ごめんなさい。私……私が、未熟で、こっ、これしか、出来ないのに!それなのに……!」
みるみるうちに涙を溢れさせたリズに、の両目が丸くなる。まだ確かに鈍痛はあるが、背中はほぼ膏薬だらけで見ることは叶わない。いや、ではなく。

「ほ、ほんとに、ほんとに……ごめ、ごめんなさい……!」
ソワレがしゃくり上げるリズの肩に手を置いたが、小刻みの震えは止まらない。困惑顔のソワレが視線を動かし、分かっているとばかりにが頷く。

「リズさん」
静かな呼び掛けに、リズの肩が大仰に跳ねた。そんな様子に少しばかり苦笑をこぼし、は続ける。

「気にしていませんよ。たかが傷の一つや二つ」
「た……たかがじゃ、ないもん。たかがって言えるくらい、軽くない、んだもん」
首を横に繰り返し振り、その傷の大きさに言及する。確かめてみた訳では無いので何とも言い難いが、リズの様子から察するに軽症とは言えない程度の痕が残ったのだろう。
はぁ、と溜息を吐けばやはり薄い肩が大きく跳ねる。はリズの名を辛抱強く呼び、漸くその視線を自らの方へ向けさせた。

「たかが、ですよ。リズさん。たかが、傷です。どんな酷い傷痕だろうと、命には代えられません。違いますか?」
「ちが……ちがわない、けど。でも」
「デモもストもありません。寧ろ、傷一つで済んで行幸だったでしょう。――確信犯であったことは、予め謝っておきますが……あの時は、完璧に死んだと思いましたから」

「……分かっています。口が裂けてもクロムさんには言いませんよ。まず間違いなく死んでいた命を拾ったんです。傷一つで済ませてくださったリズさんに、感謝こそすれ謝られるようなことは……」
「でも!」
リズの悲鳴が言葉を遮る。

「それでも!私にもっと力があれば、傷なんか残らなかった!死に……死にそうになる、ことだって……ほんとに、ほんとに、さん、死んじゃうんじゃないかって……!」
その必死な形相にあぁそうか、とは納得してしまった。父母は早くに亡くしていると聞いているが、それはまだリズにとって幼い頃のことでありまだ、漠然としたものでしかなかったのだろう。自警団の一人として誰かの死に立ち会ったことはあったとしても、それは彼女にとって善くも悪くも親い人間ではなかったのだ。少なからず恐慌を起こす程度にははもう、リズの中で身内同然なのだろう。
ありがたいことではあるが。

「……それでも。私は、きっと同じ方法を選びます」
ぴた、とリズの動きが止まる。

「それで守れるのなら。私の大切な人を守ることができるのなら。……何度でもその人の目の前に身を曝します。例えそれで誰かを悲しませることになっても。自分の命を、落としたとしても」
自己満足以外の何物でも無いのは百も承知だ。だが、動かず後悔するよりもどうせ同じ結果なら動いて後悔した方がいい。守りきれた時点でに後悔なんて無いだろうが。

「だから、貴女が責任を感じることなんて無いんですよリズさん。私は私の意志であの時、走った。予想外に命を拾うことになってしまいましたが、その対価が傷一つなら安いもの――いいえ。この傷でクロムさんの命を購えたのなら、私はそれを誇りとすら思います。……そう言えばまだ、言ってませんでしたね」
そう言って微笑むの表情は本当に誇らしげで、一点の曇りも翳りも無かった。

「助けて下さって、ありがとうございました。リズさん、ソワレさん。お陰で命拾いをしました。本当に――ありがとうございます」
反則だ、とリズもソワレも思う。
そんな風に綺麗に誇らしげに微笑まれてしまっては、もう何も言えないではないか。
彼女の言を信じるなら――疑う余地など全く無いが――この先、何度でも今回のようなことが起こり得ると言うのに。
笑いながら自分が傷つくことを厭わないと言うに、これ以上何を言えと。これも彼女の策の内だと言うのなら、荷物を纏めて自警団から夜逃げしてやると胸中で狂暴に呻く。
そして、同時に思う。

――やはり、彼女がいい。

自警団の軍師として、自分を含めた仲間達の命を預ける指揮官として――叶うなら、国を支える運命を義務付けられた孤独な彼の片翼として。
落ちこぼれの天馬騎士を筆頭とした、彼に並々ならぬ想いを抱く乙女達には悪いが多分勝負にすらならないだろう。
己の意志に、賭ける覚悟と対価が違う。

「もう!さんがその気なら、私だって何度だって助けてみせるからね!どんな大怪我して死にそうになっても、絶対、絶対死なせないんだから!嫌だって言っても絶対聞いてなんか上げないんだからね!!」
「ま、そう言うことなんだけど……何か、違わないかい?リズ」
「いーのよ!同じことなんだから!」
宣戦布告するリズには目を丸くし、ソワレは苦笑を隠さない。
と、表情を変えた拍子に背中が痛んだのか僅かに顔を歪めたに、笑いを収めたソワレが近付く。

「大丈夫かい?」
「え、えぇ……やっぱり、まだ多少攣れますね……」
「あれだけの大怪我だもん。もう傷は塞がっちゃったから、杖はもう効かないだろうし……」
「仕方ありませんよ。傷口を新たな皮膚が被ったのなら、違和感はどうしたって残ります。馴染むまでの辛抱です」
どかか他人事のように呟くに、自分のことでしょ!とリズが肩を怒らせる。確かに自分のことなので、気にはなったのだろう。何を思ったのか、が身を起こすような仕草をした。
勿論慌てたのはリズとソワレだ。だが、当のは僅かに呻いただけで半裸の上半身だけを器用に反らせると、膏薬布が隙間なく貼り付けられている背中を窺おうとし――


ッ!!」
次の瞬間、この場にいるはずのない――居てはならない男の低い声が、天幕内に響いたのだった。

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