遭遇戦 ]Z
「よ……っと。」
太さも長さもばらばらで納まりの悪い木々の枝を、器用に束にする。一纏めにしたそれらを二、三個抱えあげれば後は野営地に戻るだけだ。背後を振り返れば、似たような束を持った華奢な乙女がやはり同じような格好をしていた。スミア、と小さく声をかける。
「戻れるか?」
「あ…はははい!大丈夫で……」
す、と言おうとしたスミアの声を騒々しい音が遮った。何がと考える迄もない、かつて木の束だったものがその足元に散乱したのだ。
「………」
気まずそうな沈黙が落ちる中、我に返ったスミアが顔を真っ赤にしたままその場にしゃがみこんだ。
「すすすすみませんっ!わ、私ったらドジで……」
「あ、あぁ……いや、怪我が無いならいいんだが」
スミアはしゃがみこんで再び枝を掻き集めようとするが、目でも瞑りながら手を動かしているのかてんで見当違いな場所を掴んだりしている。そんな姿を見兼ねたクロムは、彼女の傍らまで近付くと自分が持っていた薪の一束を差し出した。
「ク、クロム様……?」
「俺が集めるから、こっちを頼む」
「あ、は、はい……!」
恥ずかしさの余り耳まで真っ赤にしながらも、薪の束を受け取る。渡した本人は無精な真似はせず、一本一本確実に拾い手際良く束ねていった。
「………」
スミアはそんな何気ないクロムの一挙一動にすら見入ってしまう。
あの日からずっと憧れていた存在が目の前に、手の届く距離にあるのだから当然と言えば当然で。 だが、いつもは甘く精悍なその表情も今は冴えない。それがたった一人の仲間の――しかも自分と同性の――為だと思うと、スミアの胸は苦しくて張り裂けそうになるのだ。
周囲の反対を押し切って入った自警団では、その周囲の期待を裏切ることなく落ちこぼれた自分と、身元が不明ながらもその人柄と実力だけで皆の――クロムの。信頼を勝ち取った、要の女軍師。
けれど、クロムを想う気持ちは彼女にだって――それこそ、天才と呼ばれるあの親友にだって負けないと、そう思っていた。
勇気を振り絞って話しかけた、闘技会の夜。あの夜から嫌な予感が拭いきれずに、なるべくクロムの傍らに居るようにしたはずだったのに。
肝心な場面で自分は動けず、ただ悲鳴を上げることしかできなかった。
無論のことは心配で、早く目が覚めてくれればいいと思っているけれど。彼女が目を覚ましたら、クロムは自分の手の届かない所へ行ってしまうのではないかと、不安で仕方ない。
そしてその不安を解消する方法も分かっている。皮肉にもその手段すら、から教えられていた。
(でも………)
できないのだ。胸の中から溢れて、喉奥までは確かに競り上がってきているのに。どうしても身体が竦んで、それ以上口に出せない。
こんなにも、気持ちは溢れていると言うのに。
「……ア。スミア?」
「へ?は、あ、は、はい!」
訝しげな声に我に返れば、先程自分がばら撒いた薪を拾い終え束に括ったらしいクロムが自分をじっと見ていた。
「ク、クロム様!あ、あの何か……」
「いや、お前こそどうかしたのか?いくら呼んでも返事がないから、何かあったかのかと」
「あ、い、いえ!何も……!わ、私は大丈夫です!」
「……そうか。なら、いいんだが」
それに尋ねられるスミアより、尋ねるクロムの方が余程表情が固い。だがそれを指摘した所で、彼の口からは未だ眠り続ける彼女のことしか語られまい。卑怯だとは知りながら、けれどそれに気付かないふりをしてスミアは曖昧な笑みを浮かべた。
「……心配ないぞ」
「え?」
だがそんな自分の卑怯さを、ナーガ神はお赦しにならなかったようだった。
この数時間で窶れたようにさえ見えるクロムが、自らの胸中を押し殺した表情で微笑んだのだ。
「あいつなら……のことなら、心配いらない。傷も塞がっているというし、必ず目を覚ますさ」
まるで自分に言い聞かせるようなその声音と表情に、スミアは息を詰めた。
クロムは確かに今、ここに――自分の傍らに居ると言うのに。彼の心は今、ここに居ない彼女に寄り添って離れようとしない。
「え……えぇ。そう……です、ね」
だから、そうとしか答えられなかった。それ以外、どう答えればいいのか。それこそ誰か知っているのなら教えて欲しい。
そんな乙女の気も知らぬ男は、そろそろ戻るかと呟いている。スミアはそんなクロムを悲しげに見つめながら、何事かを呟こうとし――けれど結局言いかけた言葉は形になることは無く。宙に、消えた。
項垂れ気味のスミアに気付くことなく、薪の束を抱え直したクロムはふとそのままの姿勢で静止した。
「………?」
突然足を止めたクロムに気付いたのだろう。立ち上がったスミアも同じ方向を伺い、近付いてくる気配に軽く眉を寄せた。
数は恐らく一つ、山賊や野盗の類とは思えないがそれにしては真っ直ぐこちらに向かっているのが気になる。浅く腰を落として身構えたクロムの背後で、スミアも同じように身構えた。
その間にも気配はどんどん近付いており――
「こ……こんな、ところに、いらっしゃったんですか……!」
果たして、二人の前に姿を現したのは息を切らせたミリエルだった。成程持久力にやや欠ける魔導士の彼女なら、クロム達に真っ直ぐ向かってこれたことにも納得がいく。
だが、その理由が――そんなに急いでまで何を、とスミアが考えた所で前にいるクロムが息を飲んだ。
「なにか……何かあったのかミリエル!?あいつに……に、何か……!」
「え……」
未だ目を覚まさぬ佳人の名に、スミアが顔色を変えた。まだ、何も伝えていないのに!?
「い、今しがた……意識が、戻りました……!流石に本調子ではなさそうですが、言葉もしっか……」
り、とミリエルは最後まで続けることはできなかった。待ち続けていた言葉を聞いた途端、クロムが抱えていた薪を放り投げて走り出したからだ。
「ク、クロム様!!」
咄嗟に手を伸ばしたスミアだったが、その華奢な手は服の端すら掴むことなく虚空を泳いだ。振り返りも、一瞥すら残すことなく走り去ったクロムの後を追おうとしたが息を弾ませたままの使者にやんわりと阻まれて。
「……走ったところで追い付けないでしょう。足元不如意の節があるんです、走るのは避けた方が賢明かと」
「で、でも……」
それに、とミリエルは続ける。
「これ、拾って戻りませんと」
視線で指摘されたのは、投げ捨てられた衝撃でバラバラになった大量の薪。
「……そう、ですね……」
そうは言いながらも、スミアの意識は既にここに居ない男に向けられている。
の意識が戻ったことは喜ばしいが、別の問題が発生しそうだとこっそり溜息を吐いたミリエルだった。
脇目もふらず、とは正にこのこと。
じっとしているよりかは身体を動かしていた方が幾分マシと、燃料調達に従事していたクロムがその報告を受けて野営地に戻るまでの姿を見ていたら誰もがそう口を揃えただろう。
「ッ!!」
一際大きな天幕が見えてこようものなら、期待と安堵と焦躁と。様々な感情の入り交じった表情で、クロムは一足跳びに天幕に駆け込んだ。突き破るように払った扉部分が僅かに視界の端で揺れ、そのほぼ中央を占めるのは待ち望んでいた愛しい姿。
が上半身だけを器用に反らせながら、硬直していた。ぷるん、と大きさはそれほどでないものの形の良い乳房が揺れて。
突然の闖入者――それもこれ以上無い程に許されざる状況での――に、は勿論リズもソワレも絶句する。一瞬、何が起きたのかさえ頭が考えることを拒絶して。
「…………っ!?」
悲鳴、そう悲鳴を上げる為に喉が攣れる――はずだった。
侵入者にとってこの状況は大した問題ではないらしい。それと言うのも硬直する彼女らの前で何の躊躇も躊躇いもなく、天幕の中へ押し入ってきたからだ。リズもソワレも呆気に囚われたままで、目の前をクロムが大股で横切るのを見ているしかない。それはも同じで、さして広くもない天幕だ傍らに立った男をそのままの格好で見上げしかできないでいた。
そして更に悲鳴を上げることもできない状況に陥るなど、いかにが優秀だろうとも予測できるわけがなかった訳で。
「…………っ!!」
何を思ったのか、クロムが突如を抱き締めたのだ。力任せに引き上げられる白い身体。あ、と思う暇も無かった。痩肉ながら骨太の、蒼い青年の腕に、胸の中へきつくきつく抱き締められる。
「〜〜〜っ!?」
一瞬の浮遊感に抗いを封じられ、逞しい腕に腰を支えられるような形で抱き込まれてしまった。そのまま額で肩を抑えられ、顔を埋められてしまう。
「ク、クロムさ……!」
何を、とが小さく身を捩るがそんな些細な抵抗をすればする程身体を拘束する力は強くなった。直接患部に触れていないにせよ、体格の良い男性に抱き込まれていれば身体は軋む。
だが彼の行動に辟易したのと同様に心当たりのあり過ぎる故に、は大人しくその身を委ねた。クロムの背中越しに驚愕か怒りか、顔を青から赤へと変えつつある仲間達を視線で宥めて。
「……ごめんなさい」
肌越しに感じる震えに静かに謝れば、肩口に埋まっている蒼い髪が左右に振られる。同時に面映ゆい感触に身体が逃げようとするが、それは意志の力で抑え込んだ。
謝辞を聞いたことで益々強まった力に、軽く息を吐きややごわつく蒼い髪を手櫛で梳く。子供を宥めるような手付きに思うところがない訳では無いが、それさえ一歩間違えれば享受できなかった感触だ。触れられる手が、肌越しに聞こえる鼓動が。
今、ここに自分の腕の中にある――ただ、それだけで十分だ。
「……生きててくれたから……それで……いい……」
それ以外望まない。生きてさえ、いてくれれば。奇しくもの言っていたことを、まさか自分が口にさせられるとは思わなかったが。
いや、もう。
そんなことすら、どうでもいい。
「……」
はそっと目配せを傍観者二人に送る。その視線の意味するところを察し――リズはあまり良い表情はしなかったが――静かに天幕の入り口へ移動した。確かにこれ以上他人に肌を晒すのはご免だろう。誰かが後続を断たねば。
「……それでも。それでも、言わせてください。心配させてごめんなさい。それから……心配してくれて、ありがとう、とも……」
肩口で嗚咽を噛み締める男の背中に腕を回して、もまた静かに目を伏せたのだった。